「平和のための戦争展境港市実行委員会」(浜田章作代表)は4月25、26の両日、境港市で「玉栄丸爆発70年 展示と体験を語る集い」を開きました。26日は体験者らが語る集いが開かれ、約90人が参加しました。
玉栄丸爆発事故は、1945年4月23日午前7時40分の爆発に端を発し、4回の爆発で死者120人以上、重軽症者309人、倒壊・全焼家屋431戸の被害を出した山陰で最大の戦災です。
陸軍徴用貨物船の玉栄丸は、火薬など軍需物資を境港港に荷揚げ中、引火し爆発。上等兵のタバコの不始末が原因だとの憲兵の手記があります。
1回目の爆発の消火作業に当たった陸軍の暁部隊兵士、海陸運送作業員、住民らが2回目の爆発の犠牲者になりました。倉庫に引火して3回目の爆発が起こり、直径50㍍、深さ15㍍の穴を掘り池となりました。爆発と火災により境港市の4分の1が壊滅しました。
浜田代表は「積荷が火薬だということが、兵士にも住民にも知らされず、軍事機密が引き起こした事件で、国に責任がある。安倍政権は秘密保護法をつくり、戦争する国づくりをすすめている。過ちを繰り返してはならない」と話していました。