【6月14日付】爽風ー春名なおゆき

 4日の土佐山田のつどいでは戦争体験がこもごも語られました。「兄を戦争で亡くしました。帰ってきたのは紙切れ一枚」「叔母の夫が戦死、戦争犠牲者の惨めな思いをまじかで感じてきました。戦争だけは絶対にいけない」。涙なしには聞けません。


  実は私の父も戦争を体験しています。「満州に出兵、フィリピンに船で移動するとき自分の船だけが魚雷攻撃を受けずに無事だった。ルソン島はすでに連合軍の支配下、蛇やカエルを食べて飢えをしのぎ、たまたま捕虜になったので生きて帰還した」。あまり多くを語らなかった父ですが、戦争の忌まわしい記憶だけは脳裏に焼き付いて離れなかったようです。


  悪夢の体験を二度とさせてはならない、いさかいがあってもけっして戦争という手段はとらない―ここに戦後日本の歩んできた道があります。この道だけはどんなことがあっても踏み外してはならない、いま日本中でこの思いが爆発しています。


 松山で開かれた伊方原発再稼働をやめさせる大集会へ(7日)。地元愛媛はもとより香川、徳島、高知、そして海の向こうの大分からも大勢参加、総勢2500名の大集会となりました。福島から愛媛県に移住した被災者の方の発言は私たちの胸をえぐりました。「みなさんは私たちのようになってはいけないのです。4年間苦しみ、これからも苦しむ、そんな思いを二度としてはならないのです」。


  佐田岬の付け根に位置する伊方原発、その西に暮す5000人は逃げ場がありません。いくら基準地震動を引き上げたといっても、南海トラフ巨大地震に本当に耐えられるのでしょうか。敷地内には汚染水を保管する場所もありません。不安は尽きません。火山噴火が相次ぐ日本列島に再稼働してよい原発はどこにもありません。「再稼働反対」「伊方をとめろ」「原発いらない」のコールに魂を込めました。


 中国、四国をやっと一巡。九州がエリアから外れましたが、それでも広い。どこでも地域に根を張り、平和、くらしの守り手としてたたかう仲間の姿があります。ここに力の源があると実感する毎日です。