「大山口列車空襲慰霊祭・平和祈念の集い」が7月28日、大山町で開かれ、小中学生ら約180人が参列しました。
集いは、大山口列車空襲被災者の会(金田吉人会長)が主催し、被害者や遺族、四つの地元小学校、大山中学校の生徒らが参列しました。
大山口列車空襲事件は、1945年7月28日朝、JR大山口駅の約600㍍東方に止まった西に向かう列車に、米軍艦載機3機が機銃掃射とロケット砲で攻撃を加え、45人以上の死者と31人以上の負傷者を出しました。
東京都在住の近藤裕さん(85)が講演しました。
空襲を受けたときの様子を「空襲のたびに悲鳴と唸り声がしました。窓から飛び降りた大人たちは次々と撃ち殺され、車両の出入口は倒れた人の山でふさがれました。顔がつぶれた人、腕がない人、体がボロボロの人、床は血の海でした。たくさんの弾丸が屋根を突き抜け、どうしていいかわかりませんでした」と語りました。一人取り残された近藤さんは、窓から飛び降り、車両の床下に逃れて助かりました。
当時15歳だった伊藤清さん(85)は、空襲を受け、右腕を銃弾が貫通し、顔にやけどを負いました。
「頭の上から撃たれた。恐怖感は忘れない」と話していました。
町内の小学校6年生は、列車空襲の体験者や遺族から話を聞いた感想を発表したり、広島の原爆資料館を見学するなど平和学習の成果を報告。「日本は戦争しないと決めている。戦争に反対していきたい」「僕には戦争を止められないかもしれないが、できることをしたい」などと発言しました。