湯梨浜町で7月18日から20日まで、ビルマ戦線を生き抜いた男性の展示会が開かれました。新日本婦人の会羽合班主催の「平和のための戦争展」です。
信原和裕さん(64)が、志願兵としてビルマ(現ミャンマー)に出征した父、和知さん(2013年に90歳で没)の遺品を展示しました。遺品は、普段は自宅敷地の「彫刻と緬甸(ビルマ)の館」に納められています。
和知さんは、18歳で陸軍に志願し、鳥取第121連隊第9中隊に所属。1943年にビルマのラムレ島に配備されました。
45年、イギリス軍の攻撃を受け、ラムレ島から撤退しビルマ本土をタイ国境へむかって敗走。退却路は白骨街道と呼ばれました。
補給を軽視した日本軍は、戦死のうち餓死と病死が半数以上にのぼりました。第9中隊の201人中126人が戦死しました。
信原さんは「47年に復員した父は、死ぬまで苦しみ、鎮魂のために250体の兵士や仏塔の彫刻を彫って供養しました。鳥取ビルマ会を結成し、遺骨収集や慰霊碑を建立しました。遺骨をビルマに撒いてくれとの遺言で、昨年家族8人でビルマに行き、学校や寺院に寄付してきました。戦争を繰り返してはなりません」と語りました。