鳥取市吉岡温泉で8日から10日まで、「平和のための戦争展」が開かれました。主催したのは、吉岡温泉に実家のある橋本巌さん(74)=大阪府在住=、地元の懸樋(かけひ)英一さん(77)、日置重雄さん(79)です。
懸樋さんの父、光隆さんは、パプアニューギニアで1944年8月に33歳で戦死しました。
20歳で徴兵され12年間、中国を転戦し、43年9月の鳥取大地震で帰ってきましたが、翌年には姫路連隊に招集され、帰ってきたのは石ころだけでした。
日置さんの妻の父、操上(くりがみ)俊三さんは、潜水艦の乗組員で、44年7月に太平洋にて42歳で亡くなりました。
橋本さんは、鳥取大地震で母親を亡くしました。神戸から疎開して来た学童のことを覚えています。
「神戸から吉岡温泉に95人が疎開して来ました。約2500人が鳥取県に来ました。神戸から44年9月11日から45年3月6日まで疎開して、卒業式に帰った学童の多くが空襲で死にました」と話しました。
戦後70年に不戦を誓って、同展を開くことを決め、自らの遺族の遺品の他、湖南地域を回って遺品を集めました。