【11月8日付】 爽風ー春名なおあき 福島の帰還困難区域を視察

 10月27~30日、4回目の福島へ。
 全村避難が続く飯舘村。4年以上にわたる避難生活は村民の健康、精神をむしばんでいます。震災関連死は県全体で1980名に上り、震災による死亡を上回りました。飯舘でも悲劇が続いています。


広い一軒家から4畳半二間の仮設ぐらし、家族もバラバラ、知り合いもなく、故郷に帰れる希望すら奪われた毎日。どれだけの苦しみを背負わされてきたことか。102歳の長寿の方が「私はもういらないでしょう」と、自殺されたお話に大きなショックを受けました。


 初めて原発立地自治体の双葉町、富岡町を視察できました。破壊しつくされた町がそのまま放置され、南相馬市小高駅の駐輪場には、この駅を利用して高校に登校した主たちの帰りを待つ自転車がそのまま置かれていました。双葉町の商店街入り口には「原子力 明るい未来のエネルギー」の横断幕が。その横に「この幕を撤去しないで。負の遺産として」とのポスターが。京都から移住し街づくりに心血を注ぐ宮前さんのお話では、製作したのはこの標語が採用されたご本人とのこと。忸怩たる思いが伝わってきます。


 国は年間被ばく線量1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに緩和、17年4月から被災者を「強制的」に帰還させる方針です。支援は打ち切られ、福島事故をなきものにする許しがたい暴挙です。原発問題の原点は、福島の実態にこそある、この現実から絶対に目を反らせてはなりません。


 憤りを持ち松山の伊方再稼働阻止全国集会に参加(1日)しました。4000名を超える参加者は、「知事や規制委員会は通っても、住民は通っていない」と怒りの拳を突き上げました。


 松山市北条で街頭演説。指定場所に着くと聴衆がざわついています。聞き耳を立てると「女の人かと思っていた」。はるなちゃん=女性なんですね。「脂ぎった男ですみません」と、お詫びから演説を始めました。