鳥取市で3月18日、第1回とっとり弥生の王国シンポジウム「倭人の食卓」が開かれました。主催は鳥取県埋蔵文化財センター。
山口大学教育学部の五島淑子教授が「倭食から和食へ」と題して記念講演し、弥生時代の食事や郷土料理のレポート、パネルディスカッションが行われました。
五島教授は、和食は倭食から発展したものであり、縄文時代、弥生時代の倭食が、古墳時代、奈良時代にかけて和食として完成し、江戸時代、現代の至ると説明しました。
縄文時代は狩猟採取の倭食であり、縄文末期に稲作が入り、弥生時代には狩猟採取の倭食に穀類食が加わり、しだいに穀類主体(コメ2にハダカムギ1の割合)の和食になったと語りました。
倭食の特徴は、縄文時代に煮炊き用の縄文土器が登場し、弥生時代に炊飯用の弥生土器が登場し、生で食べられない物、硬い物、小さな物などが食べられるようになり、食材が豊富になり、腐敗を防ぎ、日持ちし、ごった煮の美味しさが実現したと指摘しました。
食事の変化に伴う体格の変化について、縄文時代(中国地域)の推定身長は男性158㌢、女性147㌢、弥生時代はそれぞれ162㌢、148㌢、古墳時代は163㌢、152㌢、江戸時代は156㌢、145㌢だと紹介。弥生時代に、渡来人の影響と、稲作が加わったことによる食の安定と食材の豊富化で、縄文時代より体格が良くなったが、古墳時代から江戸時代に向かって、穀類主体の食事になったことで、動物性のタンパク質が不足し、大豆や穀類で補ったが、全体として不足し、身長が低くなったと推測しました。
1840年代の地誌から推測すると、天保期長州藩の食事は、現在の日本人の食事と比べて、カロリーは変わらず、動物性のタンパク質と脂質が極端に少なく、タンパク質全体でも77%、脂肪全体に至っては20%と少ないと指摘しました。