「大山口列車空襲 慰霊と平和祈念の集い」が7月28日、鳥取県大山町で開かれ、遺族や小中学生ら約180人が参列しました。大山口列車空襲被災者の会(金田吉人会長)の主催。
大山口列車空襲は、1945年7月28日朝、大山口駅の手前約600㍍東に止まった列車を米軍艦載機3機が機銃掃射とロケット砲で攻撃し、45人以上の死者と31人以上の負傷者を出しました。
遺族を代表して山林紀代美さん(81)が、空襲で母親を亡くしたと語り、2度とこのような惨事が起こらないよう平和への決意を新たにしたいとのべました。
米子市の旧陸軍飛行場で特攻隊の訓練をしていた伊木弟一郎さん(85)が体験を語りました。飛ばせる飛行機がなかったため、動力のないグライダーに爆弾をくくりつけ、敵艦に体当たりする特攻作戦の訓練をしていたとのべました。
グライダーの先にゴムの束を付けて人や車で引っ張って打ち出していたと紹介しました。また、監視塔から空襲を受ける列車を見たことや友人を失った悲しみを語りました。
伊木さんは「また悲惨な戦争の社会に引き戻されてしまうことを心配している。忘れずに語り継がないといけない」と話しました。