とっとり震災支援連絡協議会は3月11日、鳥取市で東日本大震災避難者支援フォーラムを開きました。
福島市出身の浪岡志帆さん(21)、福島県伊達市の佐藤静香さん(52)、宮城県石巻市の阿部紀代子さん(57)が震災と震災後の体験を報告しました。
浪岡さんは、震災当時13歳で中学校1年生でした。2階にいて激しい揺れの中、母親が心配になり1階に降り、家の前の公園に行くと近所の人が集まっていました。
コンビニで食料と水を確保し、翌日もスーパーが青空市場を開くなど食料と水を確保できましたが、3日目には主食はなく、冷凍食品やお菓子を買いました。
いったん東京の母親の実家に家族で避難し、その後、福島の自宅に帰りました。震災から4カ月後、母親が借りてきた放射線測定器で自宅を測ると2・5マイクロシーベルトと高く、怖くなり住めないと思いました。
山形県に転校したいと家族に相談し、葛藤はありましたが、母と父、妹の4人で移住。中学校と高校を山形県で過ごし、3年前に家族で福島に帰り、今は東京の祖母宅から大学に通っています。
「体が大丈夫か、今もわからない」と不安を訴えました。