【9月20日付】「生産性」を巡って排除から共生へ(下)

コロナ後の「新しい社会」
鳥取短期大学幼児教育保育学科教授 國本真吾

 コロナ禍での人間が人間を排除する動きは、とりわけ社会的に弱い立場にある人に対して顕著です。


 感染者対応でひっ迫する海外の医療現場では、人工呼吸器が不足するため、高齢者や障害者の治療が中断や後回しにされたと聞きます。国内でも、障害者施設に「税金の無駄づかい」という中傷ビラが投げ込まれたという報道がありました。


 これらは、元々人間社会に通底していた根深い問題が、新型コロナウイルスへの感染恐怖という事態で浮き上がってきたと考えられます。「生産性」をめぐる政治家の発現や、優生思想の影響が指摘される近年の事件なども同様です。安倍政権は「一億総活躍」「共生社会の実現」などを政策課題に掲げましたが、それは結局、表面的な「共生社会」像だったと言えるのではないでしょうか。


 そのような事件のたびに、戒めのように鳥取県出身で戦後の障害福祉の父・糸賀一雄の思想が取り上げられます。氏の「この子らを世の光に」の言葉は有名です。糸賀氏が故郷の地で行った最後の講演では、「ミットレーベン」(独語の造語で「ともに暮らす」の意)という言葉が登場しています。


 講演を要約するとー障害のある子どもたちの幸福のため、それを実現する努力を社会全体の人々と一緒に取り組む。その中核に「ミットレーベン」があり、子どもたちの世話をしながら現実を切り拓き、新しい未来を切り拓く働きを国民大衆とともに行うーという内容です。また、氏の著書『福祉の思想』でも、「差別的な考えや見方のない社会、人間と人間が理解と愛情でむすばれる」ような、人間に対する新しい価値観に基づく「新しい社会」の建設への願いが語られています。


 コロナによる「新しい生活様式」で、人々が密を避け、至るところでソーシャルディスタンスが求められています。お互いの体温を感じ取れる「ミットレーベン」な関わりが避けられています。コロナ後に必要なことは、単に生活様式を改めることではなく、糸賀氏が願った「新しい社会」の建設に学び、「ミットレーベン」を中核とする人間理解に満ちた社会の形成ではないでしょうか。